国賠弁護団ホームページ開設にあたって
袴田事件国家賠償請求訴訟弁護団
団長 小川秀世
袴田巖さんが無罪判決を勝ち取るまでには、
30歳から88歳までの58年間を要しました。
そのうち48年間はほぼ独房の中で拘束され、本来人生でもっとも活動的で楽しむべき日々が、いつ死刑を執行されるかもしれないという恐怖の日々になってしまったのです。その恐怖によって巖さんが妄想に捕らわれた状況は、釈放後も続いているため、巖さんは今でも普通の社会生活を送ることができません。
にもかかわらず、国が巖さんの58年間の人生を奪ったことを償う金額が2億1700万円であったことは、誰もが理不尽であると感じることと思います。誤った捜査、誤った裁判で1人の人の人生を奪うことなど、二度と起こさせてはいけません。それが、この損害賠償請求訴訟を提起した理由の一つです。
しかし、この訴訟の目的はもう一つあります。
2024年(令和6年)9月26日、静岡地方裁判所は、1966年に発生した清水市の4人の被害者に対するこの強盗殺人、放火事件について、袴田巖さんに対して無罪判決を言い渡しました。無罪判決では、中心証拠である5点の衣類と端切れ、さらには巖さんの自白調書が捏造証拠であったと認定され、証拠から排除されました。そして、検察官が提出したその他の証拠は、被告人を有罪とするには不十分であると判断されたのです。
しかしながら、不十分なものであったとしても、巖さんが犯人であるかのような事実を示す多くの証拠がなぜ存在したのでしょう。無罪判決は、この点について何も述べませんでした。説明することができなかったのです。しかし、そのために、合理的な疑いはあるものの、巖さんが犯人であった可能性もあるなどとされるおそれが残ってしまったのです。
そもそも、4人を殺害し、放火した犯罪が行われたことは事実であったのに、真犯人に結び付く証拠は、どこに消えてしまったのでしょうか。さらに言えば、再審請求審で私たちが主張したように、刃物による40数か所もの多数の刺し傷のある4人の殺害が、なぜ、深夜に音もなく実行できたのでしょう。4人もの尊い命が奪われながら、警察や検察は、巖さんを有罪にするための証拠を捏造するだけで、なぜ、この事件がどういう事件であったのかを明らかにし、真犯人に結び付く証拠を提示できなかったのでしょう。
巖さんが無罪となったことは、巖さんにとってはもちろん、私たちにとっても何物にも代えがたい喜びであり、大きな節目となりました。しかし、上に述べたことが何も明らかにされないまま、私たちの活動を終わらせることはできません。
こうしたことが解明されなければ、巖さんにとっても、そして被害者4人の遺族の方々にとっても、この事件は終わったことにはならないのです。また、それが解明されなければ、再び同じような事態が生じるかもしれないのです。
私たちは、このような問題意識をもって、この損害賠償請求訴訟を提起したものです。ですから、この訴訟の中でできる限り、以上の問題を明らかにしたいと考えています。そして、この訴訟で私たちが提出し、相手方である国や県から提出される裁判記録は、できる限りこのホームページでも閲覧することができるようにし、皆さんからのご意見もお聞きしたいと考えています。
私たちは、以上のような考えをもってこの訴訟を追行していきたいと考えています。そのために、皆さんも私たちの考えを理解していただき、応援していただくようお願い申し上げる次第です。